最期まで、そばに

半年ほど前に、雌猫季里とお別れしたばかりだというのに。
9月15日、三毛猫琥珀が逝ってしまいました。
随分時間が経ってからこんなこと書いてますが、彼女の死後はサイトの更新とか創造的なことを何もする気が起こらなくて、ミクシイでも一ヶ月ほど経ってからやっと日記に書けて、それからしばらくしてやっと、サイトを更新するまで回復したところです。とはいえ、やっぱり喪中モード更新なんですが(笑)


あまりここでは書かなかったのですが、ここ1年ほど、琥珀は大きな腫瘍を患っていました。
数年前、乳腺腫瘍にかかって、すぐ手術しましたが、その時は奇跡的に腫瘍も悪性ではなく、夫婦揃って胸を撫で下ろしました。猫の腫瘍は90%は悪性だと聞いていたので、尚更。
ですが、1年ほど前にやはりお乳のあたりにしこりを見つけ、また手術。しかし、今度は悪性。手術の甲斐無く、今年の春ごろ、腋のあたりにしこりが出来、手術しづらい部位だというので獣医さんも積極的でなく、様子を見ていたらどんどん大きくなって。やはり手術できないかどうか獣医さんに相談したら、もう手術は無理な状態にまで悪化していました。
それでも、琥珀自体はとても元気で、食欲も旺盛だし、他の猫とじゃれたり跳ね回ったりしているし、私らとしては、この状態が少しでも長く続きますようにと祈ることだけで。
でも、無論そんな日々には終わりが来るわけで。
9月に入って、急に弱ってきて、ご飯食べなくなって、いよいよこれはマズいな、と感じ始めてから、多分一週間くらい後、その日は訪れたのでした。


それまでは本当に「こいつ本当に病気か」と思うくらいだったから、しんどかった時間はそんなには長くなかったみたいで、それだけが救い。
毎朝、毎夕、少しでいいからご飯を食べてくれないかと、高価なキャットフードあげたり、いろいろ工夫するも、鼻先に持っていくと、なんだか迷惑そうに歩き去ってしまったりして。普段は、他の子と一緒に私ら夫婦の近くにいる時間帯が結構あるのに、それが少なくなって、一人でいたがったり。もう長くないかもしれないと思えば、好きなようにそっとしといてあげたいと思う一方、私たちに見えないところで、ひっそり気付かないうちに死んでしまっていたらと考えると、それはあまりに悲しくて寂しかったです……。


そんな気持ちが、もしかして琥珀にも通じていたのかどうか。
その夜、琥珀は久しぶりに、私と妻が寝てるベッドに上がってきて、私と妻の間で眠りました。昔はよくそんな風に一緒に眠っていたのだけれど、最近、特に弱り始めてからは特に、どこか目に付かないところで一人寝ていたみたいだったので、ものすごく久しぶり。鼻先に指を持っていくと、弱々しいけど頬ずりしてくれたりして、幸せな気分でした。
一晩一緒に眠って、いつものように熊がご飯を催促してにゃーにゃー鳴いて、いつもどおり猫たちのご飯を用意して。でも琥珀はやっぱり食べなかったですが。琥珀が元気ない以外は、いつものような幸せな朝。
でも、ベッドで寝ている琥珀をずっと見ていたら、急に吐き始めて。
その後、ベッドから飛び降り、ひとしきり吐いて、苦しそうな声で2、3度鳴いて。
その背中をずっと撫でてたら、だんだん呼吸も落ち着いていって。
眠ったのかな、と思ったら、後ろ足を何度かパタパタさせて。
その後呼びかけたら、もう逝ってしまっていました。
正直その時は、悲しいよりも、あまり苦しまずに逝ってくれたことにほっとしました。その直前の苦しむ声が、あまりにも凄かったので、こんな苦しみが長く続くとしたら、あまりにも可哀相で、多分こっちも正気ではいられなくなりそうだったし。
その後、動かなくなった琥珀を抱きしめながら、ひたすら感謝しました。


まるで、ゆっくりお別れできる日を選んでくれたかのような土曜日の朝、最後まで一緒にいて、看取らせてくれた。


琥珀が、そうやってくれたようにしか思えない。
あの子は、とてもとても、賢くて、人間くさい子だったから。


人が自分の家族やペットの死を美化したがるのはありがちなことで、客観的に見るとさぞや滑稽だろうとは思うけど――それでもいいや。私たち夫婦にとってはそうとしか思えないし、実際、こうやって看取れたことは幸せなことだったのだから。


その日は一日、琥珀とのお別れを惜しんで、翌日、火葬にしたわけですが。
ペット斎場のご主人が、「この子は、もしかして癌だった?」と尋ねてきたのに驚く。聞けば、やはり火葬にしても、腫瘍の箇所はなかなか焼けず、灰になった後も黒い塊になって残るのだという。そして、「これがそう」と、お骨を拾うときに示された。
ああ、こんなにも大きな悪いモノを抱えて。さぞかし、しんどかったろう。
また、その場で泣きそうになった。


琥珀がうちに来たときのことを、今でも、はっきり思い出します。
今の家に引っ越す前、ろくに餌をやらない隣の家の飼い猫だった彼女が、うちでご飯を食べるようになって。いつも人の帰りを待ちわびていて、私や妻が帰宅すると、どこから見てたのか遙か遠くからにゃんにゃん大声で鳴きながら走ってきて。
私たちが引っ越した後しばらくして、どうしても彼女のことが気になって行ってみると、同じようにはるか遠くから嬉しそうに走り寄ってきて。その姿を見て、私たちはこの子を連れて帰ることを決めたのでした。
「猫は三日で恩を忘れる」っていうけれど、そんなのは嘘なんだな、って思いました。
少なくとも琥珀は、絶対に違った。


琥珀は、うちのリビングの上にあるロフトが好きで、よくそこで一人でくつろいだり、遊んだりしていた。ご飯の時間になると、そこから顔を出して、嬉しそうに梯子を駆け下りてきた。
時々、誰もいないのにロフトで物音がしたり、梯子が軋む音がしたりすると、まだそこに琥珀がいるんじゃないかと思う。


猫の死に目に会うとき、私たち夫婦は、必ず「この子は幸せだったのだろうか」と考える癖がある。琥珀は、苦しかったのに、最後に私たちに「幸せだったよ」と教えてれたのだろうか。だとすれば、ただ感謝して、見送るしかない。最後まで側にいてくれて、本当にありがとう。