「ケルベロス第五の首」ジーン・ウルフ 柳下 毅一郎訳(→bk1)

ケルベロス第五の首 (未来の文学)
 結構読み終えるのに時間かかってしまいました。予測されていたことではありますが。
 事前に聞いていた情報どおり、難解で読者を選びそうな物語でした。で、俺は正直選ばれなかった方に属する読者のようで(泣)一読してもウルフの仕掛けた謎・罠・トリックのどれ一つとして見破る事ができませんでした。「あれ?何?何がどうなってるんだ?」とパニックに陥ってあたふたしているうちに結末になっていた感じ。この時点で、再読は必須と思われたのですが、根性のない俺はSFマガジンのウルフ特集と殊能さんの非公式ファンサイトを拝読して、やっといろんなことが腑に落ちた感じ。
 自分の読解力のなさに恥じ入るばかりです。
 で、そうやって参考書を読んだ後に言うのも反則めいてなんなんですが。
 やはりこの本は傑作なのだと思います。
 仕掛けには気づけなかった俺ですが、先日の日記でも書いたように、この本は読み進めていけばいくほど、何か足下が危うくなっていくような奇妙な感触があって(先日は「鎖骨をハンマーで叩くような」と書きましたが、同じ意味だと解釈してください)。自分が物語の脇から見つめているこの世界は、視界は、果たして信頼できるのか?自分はこの物語をこのまま読み進めていいのか?そしてついには読んでいる自分自身の視点はいったいどこにあるのか、自分はどういう気持ちでこの物語を目撃していればいいのか……?読み手としての自分自身の存在が、根底からぐらつかされるのを感じずにはいられませんでした。
 これは、この物語がヒトのアイデンティティというものについて鋭い切っ先を突きつけるものである、ということから考えると、天才的なまでに大成功なのでは。仕掛けを見破れない人間にすら、その物語の根底に横たわる重い「意思」だけは絶対に突きつけずにはおかない。どういう形でこの物語を読んでいたとしても、確実にその鳩尾に一撃を与えられる、それほどのエネルギー。そんな本は、この世界にそれほど多くない、きっと。
 …なんて、アタマが悪くて本の真価を味わう事ができなかった人間の言い訳でしかないのかもしれないですが。
 どちらにしろ、大森望さんによると「『ケルベロス〜』が分からなくても悩まなくていい(笑)」そうなので(このへんの、ウルフについての評価を知ると、自分ひとりがどんでもなく阿呆なわけではないのね、とほっとする(笑))、とりあえずこれはこれでいいのかと勝手に結論づける事にします。
 でも、面白かった。それだけは確か。苦痛もあったけど。
 いつか余裕が出来れば、是非とも、もっと慎重に再読してみたいと思います。